ふぁんふぁんが来た日はお披露目の日でもありました。

この子との出会いはYAHOOブログのブロ友さんの記事でした。

「子猫生まれました」というタイトルで、もう一瞬でうちの子!に。
ブリーダーさんにお願いして楊子ママだったらと快諾していただきました。ペットの空輸は貨物・・・・よほど怖かったのでしょう。

これを機に閉所恐怖症になったふぁんふぁん♂。
説明が後になりましたが生後2か月で横浜から博多へ。
パパの名前が「LETO」ママの名前が「flan」だからママの名前の「F]ととって「funfun」となりました。

2000年3月8日生まれで、5月8日にうちの子になりました、可愛くて可愛くて。後で可愛い12匹のパパになるのです。

うちには毎週西日本支店長会個人宅バージョンで皆様が集まられていました。もちよりでもなく日ごろのご愛顧に感謝のパーティーでした。
臆することもなくピンポンでお迎えに出るような猫さんでした。

この子は3歳の時におしっこが出ていないことに気づくのが遅れ多臓器不全となりもうだめですと言われて

病院で泣いてないて先生にすがりついて・・・
しかしこの子は生命力が強いのか虹の橋の手前から戻ってきました。

先生には足を向けて寝れませんでしたがこの子は石ができやすく、一回の手術でもダメで3回目にはおちんちんを切って女の子になりました。

そして危惧していた関節も変形症となりかなり痛んでいたはずです。
治す薬はなりと言われたときはショックでしたがそれから8年頑張ってくれました、

病院に行くときは「閉所恐怖症」ですので大きな声でサバンナにいてもわかるくらいの声でした。車がある時は良かったのですが飲酒運転規制法が厳しくなり二日酔いでもだめになり手放しました。
それからは後半は毎日タクシーみーちゃんはうんともすんとも泣かないのでバス通院(いいこちゃん)でした。
当時、twinkey、みーちゃん、ふぁんふぁん、あーちゃんと4匹での生活はとても有意義で幸せでしたが、あーちゃんがもらわれTWINKEYと別れみーちゃんとふぁんふぁんとの3人。そしてみーちゃんが逝きしーんとなったお部屋は本当に火が消えたようでした。しかしこの後SORAさんが家族なりまた元の平和が戻ってきました。

しかし・・・・つづく